フランス ラ・リーガ

vol.3 ラファエル・ヴァラン(レアル・マドリード/フランス代表)

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第3回はラ・リーガ レアルマドリードに所属しCBのレギュラーとして活躍しているラファエル・ヴァランです。

 1993年4月25日生まれ フランス リール出身 191cm 78kg ポジション:CB

 レアル・マドリードのCBとして、長年に渡りキャプテンのセルヒオ・ラモスと共にエル・ブランコ(El Blanco/白い巨人)のディフェンスラインを支え数多くのタイトルを獲得しています。

 またクラブだけではなく、フランス代表でもレギュラーCBとして2018ワールドカップ優勝を果たし、”優勝請負人”とまで言われています。

 20-21シーズンもレアル・マドリードのレギュラーCBとして活躍しています。そんなヴァランのキャリアについて振り返っていきます。

2000-2010 幼少期からユース時代 ~生い立ち~

 
 フランス リール生まれ。ヴァランの両親はともにカリブ海マルティニークにルーツを持っています。同じフランス代表にはティエリー・アンリニコラ・アネルカ、またベルギー代表ですがアクセル・ヴィツェルも同じくマルティニークにルーツを持っています。

 7歳の時に地元リール郡にあるASエレムでサッカーを始めました。2シーズンをASエレムで過ごした後、地元の強豪LOSCリール・メトロポールからも興味を持たれていましたが、2002年7月にLOSCリール・メトロポールのライバルのRCランスの下部組織に加わりました。

 幼少期のヴァラン少年を振り返って、後にヴァラン自身は次のように語っています。「自分が成功すると分かっている子供もいる。でも、僕はそうじゃなかった。成功するための適切なメンタリティがないと幼い頃に言われたんだ。僕は優しかったからね。悪くなかった。学校の他の子はケンカしに行っていたけれど、僕は優しくて節操ある子だった。」 現在のヴァランの言動とこの証言から、当時のヴァラン少年を想像するのは難くないですね。

 2008-09シーズンはトルガン・アザールジョフレイ・コンドグビアとともにU-16チームでプレーし、この世代の全国リーグ(Championnat National des 16 ans)で優勝しました。2009-10シーズンはU-19チームに昇格し、主に2歳年上の選手たちに交じってプレーしました。

 2010-11シーズン開幕前にRCランスとプロ契約を結びます。その後フランスアマチュア選手権(4部)に属するリザーブチームに昇格しJAドランシ(JA Drancy)とのシーズン開幕戦(2-0)でリザーブチームデビューしました。

 こう振り返ってみると、まさにとんとん拍子、順風満帆なキャリアのように思えます。皆さんもご存じの通り、この後さらに順風満帆なキャリアが続いていきます。(笑)

2010-2011シーズン開幕前 ユースからトップチームへ昇格 (当時17歳)

 これが10-11シーズン開幕前のRCランスのメンバー。開幕前にプロ契約を結んだヴァランですが、名前はありません。プロ契約したとは言え、まだ当時17歳。開幕前には戦力としては考えられていなかったのでしょう。

 

2010-11シーズン終了後 プロ1年目での大活躍!

 2010年10月末、ジャン=ギー・ヴァレム監督からトップチームの練習に招集されます。11月6日に行われたモンペリエHSC戦(2-0)では負傷中のアラディン・ヤイアに代わって先発出場を果たしました。その後、ヴァレム監督が成績不振により解任され、ラースロー・ベレニ新監督が就任。監督が代わっても先発メンバーに定着。第3CBとして、そして時には守備的MFとしても出場します。

 2011年1月には背番号34から14に変更。この頃には様々なクラブがヴァランの獲得に興味を示すようになります。ヴァランの活躍も空しく、RCランスは下位に低迷。結果19位でリーグ・ドゥ(2部)に降格してしまいます。

 ヴァランのプロ1年目は23試合出場(先発21、途中出場1)1ゴール。降格チームでありながら、WSDもヴァランを取り上げる出色の出来。この18歳の逸材を他のクラブが放って置くはずもなく、”あのメガクラブ”が獲得に乗り出します。

2011-2012シーズン開幕前 レアル・マドリードへの移籍! (レアル1年目/当時18歳)

 当時のレアル・マドリードの監督はジョゼ・モウリーニョ。また当時は同じフランス人のジネディーヌ・ジダンがクラブのアドバイザーを務めていました。契約に先立ってヴァランはレアル・マドリードのクラブオフィスを訪れ、ジダンと対面しています。その後メディカルチェックを受け晴れて2011年6月27日、レアル・マドリードはヴァランの獲得を発表。6年契約(!)を結び、移籍金は約1000万ユーロ(約12億円)でした。プロデビューから1年足らずでレアル・マドリードへ移籍。大きなステップアップです。WSDのコメントも当時のヴァランを高く評価しています。

 

2011-2012シーズン終了後 リーガ・エスパニョーラ優勝に貢献! (当時19歳) 

 11-12シーズンはレアル・マドリードがリーガ・エスパニョーラ(当時)を制覇。当時のクラブ史上最多連勝記録に並ぶ公式戦15連勝を記録したほか、いずれもリーグ史上最多となる121得点勝ち点100を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝でした。

 ヴァランは入団1年目の19歳でしたが優勝に貢献します。20-21シーズン現在の久保建英選手のように、10代の若い選手は他のクラブへローンで出される事が多いレアルにおいて、ヴァランはシーズンを通してチームに留まり9試合出場(先発7、途中出場2)1得点。デビュー2戦目のラーヨ・バジェカーノ戦では、メスト・エジルのコーナーキックからアクロバティックなゴールを決め、移籍後初ゴールを記録しました。

WSDのコメントからも更なる活躍を期待させます。

 

2012-2013シーズン レギュラー獲得への挑戦 (レアル2年目/当時19歳)

 1年目の活躍により、めでたく2年目もレアルに留まることが出来たヴァラン。背番号19→2に変更。当時のCBレギュラーはセルヒオ・ラモスとペペ。この2人の牙城にどれだけ食い込むことが出来るか。

 2012年8月にはディディエ・デシャン率いるフル代表にも招集されました(出場なし)。

 

2012-2013シーズン終了後 (当時20歳)

 シーズン当初は出場は限られていましたが、徐々に国内カップ(コパ・デル・レイ)やチャンピオンズリーグ(CL)で出場機会を増やしていきます。CL準々決勝ファーストレグ、対ガラタサライ戦にも出場し3‐0の完封勝利に貢献したヴァラン。相手FWディディエ・ドログバからは、「ヴァランがまだわずか19歳とは本当に信じられない。彼は自分がこれまで対戦してきた中でも最も優れたDFの1人だ」と賞賛されます

 リーグ戦の第35節RCDエスパニョール戦にてワカソ・ムバラクとの競り合いで右足の半月板損傷し手術。長期の離脱を余儀なくされてしまいます。結局、リーグ戦は15試合出場(先発12、途中出場3)にとどまります。ただカップ戦を含めた公式戦には33試合に出場し、2ゴールを決めています。ちなみにモウリーニョはシーズン終了後に監督を退任しました。

 このシーズン中の2013年3月22日、遂にフランスA代表デビューを果たします。2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ジョージア代表戦でポール・ポグバと共に代表デビューし先発フル出場しました。

 

2013-2014シーズン開幕前 レギュラー獲得への高い壁 (レアル3年目/当時20歳)

 13-14シーズンからはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。昨シーズンはレギュラー獲得とまでは行かなかったものの、着実にレギュラーへ近づいたヴァラン。しかし昨シーズンの終盤に負った怪我で、スタートは出遅れます。そして同じポジションのライバルであるセルヒオ・ラモスとペペはそれぞれ当時27歳と30歳。CBとして一番脂が乗る時期(セルヒオ・ラモスは34歳の現在も全盛期で大活躍していますが)。若いヴァランがこの牙城を崩すのはそう容易いことありませんが、このシーズンもその高い壁に挑みます。

2013-2014シーズン終了後 ケガとの戦い 契約延長! (当時21歳)

 2013-14シーズン、10月2日に行われたチャンピオンズリーググループステージFCコペンハーゲン戦で5ヶ月ぶりに怪我から復帰します。しかし同年11月の代表戦後に再び同じ箇所(右足の半月板)を傷めて戦線離脱。翌年2月に復帰を果たしましたが、シーズンのほぼ半分も戦線離脱していたため、当然出場機会は限られリーグ戦の出場14試合公式戦の出場23試合でした。

 怪我のためプレーの機会は限られましたが、その実力を評価され2014年9月18日、レアル・マドリードはヴァランとの契約を2020年6月まで延長したと発表しました。レアルのヴァランに対する評価を物語っていますね。

2014-2015シーズン開幕前 (レアル4年目/当時21歳)

 レアルで無事で4年目を迎えるも、WSDのコメントからはメンタルに起因する不安定さがある様子。守備の選手、特にCBは安定感が求められるポジション。レギュラー獲得への挑戦は続きます。

 

2014-2015シーズン終了後

 クラブは2014-15シーズン、UEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ2014にて優勝を果たしたほか、クラブ史上最多連勝記録である公式戦22連勝を記録しました。しかしコパ・デル・レイはベスト16、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、リーガ・エスパニョーラは2位に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティ監督は解任されました。

 ヴァラン個人は公式戦個人最多の44試合に出場。レギュラーにはかなり近づいたものの、リーグ戦出場27試合でうち先発は21試合途中出場が6試合。不動のレギュラーとは言い難いシーズンでした。

 一方プライベートではこのシーズンオフに、学生時代から交際していたCamille Tytgatさんと結婚。大学時代には法律を学んでいたとのこと。何よりとんでもない美人! 2人の間には現在、可愛い子供が2人います。

 

2015-2016シーズン開幕前 (レアル5年目/当時22歳)

 結婚してレギュラー獲得に向け更なる飛躍が期待されます。

 

2015-2016シーズン終了後

 クラブは15-16シーズン、解任されたアンチェロッティに代わりラファエル・ベニテスが監督に就任。同シーズンはクラブ史上初となる公式戦開幕4試合連続完封記録を達成するも、コパ・デル・レイではカディスCF戦で出場停止処分中のデニス・チェリシェフを先発出場させる規約違反を犯したことで失格処分を受けベスト32に終わったことや、リーガ・エスパニョーラ第12節におけるエル・クラシコでの大敗などの理由でベニテスは解任されました。その後はレアル・マドリード・カスティージャ(リザーブチーム/20-21シーズンは3部所属)で監督を務めていたジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に昇格。最終的にリーガ・エスパニョーラでは2位に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たしました。

 ヴァラン個人はこのシーズンも度々故障し、シーズンを通してプレーできませんでした。また練習中の左足大腿二頭筋の負傷により、シーズン後のEURO 2016を欠場しました。

 

2016-2017シーズン開幕前 (レアル6年目/当時23歳)

 同じフランス人のジダン監督のもと、更なる活躍が期待されます。背番号2を同僚のSBカルバハルに譲り、背番号を”5”へ変更しました。レアルの”背番号5”と言えば、ジダン監督が現役時代に背負っていた番号です。

 

2016-2017シーズン終了後 5シーズンぶりのリーグ優勝!

 クラブは2016-17シーズン、UEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ2016リーガ・エスパニョーラで優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグ2連覇を達成しました。また、スペインのクラブ記録となる公式戦40試合無敗を記録したほか、欧州のクラブチームにおける公式戦連続得点記録も更新しました。ちなみに当時の記録はバイエルン・ミュンヘンが12-13シーズンに達成した61試合。結局レアルは翌シーズンにかけて74試合連続得点を達成しました。これは今も破られていない欧州記録です。

 

 一方ヴァラン個人は、レギュラーを争っていたペペがシーズン中に5度も故障離脱したこともあり、ペペからレギュラーを奪い取りました。

 

 この2017-18シーズン、チームはUEFAスーパーカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップ2017で優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成しました。しかしシーズン終了後、ジダンは監督を退任しました。「チームには変化が必要」と言葉を残して・・・。退任当時は「選手補強や強化についてフロント陣と揉めた」など色々と言われていました。

 ヴァラン個人は2017-18シーズンはチャンピオンズリーグ3連覇に貢献しました。またシーズン終了後に行われた2018FIFAワールドカップロシア大会ではレギュラーの座を勝ち取り、フランス代表のW杯優勝に貢献しました。同大会では準々決勝ウルグアイ戦で先制ゴールを挙げるなど攻守共にチームを牽引し、ベストイレブンにも選出されました。1998年のクリスティアン・カランブー、2002年のロベルト・カルロス、2014年のサミ・ケディラに次ぎ4人目となる同年にチャンピオンズリーグ、FIFAワールドカップを制した選手となりました。バロンドールの有力候補の一人とされていましたが、バロンドールはチームメイトであるルカ・モドリッチが受賞したものの、FIFA/FIFProワールドイレブンUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに初めて選出されました。

 

2018-2019シーズン開幕前 (レアル8年目/当時25歳)

 18-19シーズン前にフレン・ロペテギが監督に就任。圧倒的な得点力を誇っていた絶対的エースのクリスティアーノ・ロナウドがユヴェントスに移籍。その結果、チームは公式戦での496分にも及ぶクラブ史上最長の無得点記録を樹立するなど深刻な得点不足に苦しみ、シーズン途中でロペテギは解任。レアル・マドリード・カスティージャにて監督を務めていたサンティアゴ・ソラーリが暫定監督を経て正式に監督に就任。しかしコパ・デル・レイはベスト4、UEFAチャンピオンズリーグはベスト16に終わり、シーズン途中でソラーリも解任。その後はジダンが再び監督に就任するも、リーガ・エスパニョーラでは3位に終わりました。

 ヴァランはリーグ戦32試合に出場。公式戦43試合に出場し、2ゴールをマークしました。

 

2019-2020シーズン開幕前 (レアル9年目/当時26歳)

 セルヒオ・ラモスがいるからなのか、それとも根の優しさからなのか。プレーには申し分ないものの、メンタル面でもう一皮剥けてほしい。

 

2019-2020シーズン終了後 3シーズンぶり34回目のリーグ優勝!

 このシーズンはジダン監督が監督に復帰。コロナウイルスによる中断期間を挟んだ難しいシーズンを見事に優勝!リーグ序盤はなかなか調子が上がりませんでしたが、徐々に調子を上げ約3か月のリーグ中断を経て、2020年6月の再開以降は無敗で優勝を決めました。

 

 ヴァランも32試合に出場2ゴールを奪う活躍でリーグ優勝に貢献。確かにCLの対マンチェスター・シティ戦では2度やらかしました(笑)が、シーズンを通して安定したプレーをしていました。

2020-2021シーズン開幕前 (レアル10年目/27歳)

 2020年夏の移籍市場ではマルティン・ウーデゴールなどをレンタル先から復帰させるに留めて、外部からの補強は行いませんでした。レアルが補強を一切行わなかったのは1980年以来40年ぶりです。

 これからのレアルを背負っていくであろうヴァランですが、いまだにセルヒオ・ラモスの陰に隠れがち。セルヒオ・ラモスもレアルで、しかもフルで活躍するのはそう長くないでしょう。早く”次期リーダー”らしいところを見せてほしいところです。

 ポジティブに考えれば、まだ伸びしろがあるということ。プレー面や精神面でさらに成長して、これからどんなプレーヤー、リーダーになるのか注目していきましょう!

 

あ と が き

 順風満帆な選手を記事にすると、記事としては意外に地味(ヴァランごめん!)。真面目なヴァランだけあって更に地味になってしまいました(笑)。前回のヴァーディーとは逆で、あまりにとんとん拍子だったので淡々と記事を書いてしまいました。紆余曲折、波乱万丈な選手の方が記事としては読みごたえのある、面白いものが出来上がるということが今回の発見でした。今回の第3回は年末までにUPする予定でしたが、年始にはUP出来たので自分なりに満足しています(笑)。

 さて次回、第4回もラ・リーガの選手をピックアップしようと思います。次のUP予定は1/11(月)を予定します。選手が決まったらTwitterでお知らせします。次はもう少し波乱万丈な選手を取り上げようと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました!

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