フランス ラ・リーガ

vol.4 アントワーヌ・グリーズマン(FCバルセロナ/フランス代表)

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第4回はラ・リーガ FCバルセロナに所属しているアントワーヌ・グリーズマン(Antoine Griezmann)です。

1991年3月21日生まれ フランス マコン出身 176cm 73kg ポジション:FW(ST、CF、WG)

A・マドリードからFCバルセロナに移籍してきて2シーズン目の20-21シーズン。1年目に続き苦戦が続いているグリーズマン。しかし実力に疑いの余地はなく、またここ数試合はチームの調子も上向いてきている(首位と勝ち点3差の4位、18試合終了時、2021/01/11現在)だけに今後の更なる活躍が期待されるところです。

今回はそんなグリーズマンのキャリアについて振り返っていきます。

1991-2005  ~幼少期から少年期、そしてユース時代~

↑3歳のグリーズマンくん(写真右)。かわいい(笑)。父アランはドイツにルーツを持つ町議会の議員。ドイツ系の姓”Griezmann”はそのためです。歴代のドイツ代表選手ユルゲン・クリンスマン(Jürgen Klinsmann)イェンス・レーマン(Jens Lehmann)ハイコ・ヴェスターマン(Heiko Westermann)も同じ”mann”であることからドイツ系の姓だと分かります。一方、母イザベルはポルトガル系。そしてなんと母方の祖父は元プロサッカー選手(Amaro Lopes)でした。

1997年、6歳で地元のECマコンに入団。↑これは当時7歳のグリーズマン少年がオリンピック・マルセイユの試合を観戦している写真です。家族みんなでマルセイユを応援しています。母イザベルの父親がサッカー選手だったこともあり、グリーズマン家にとってサッカーは身近なものだったのでしょう。ECマコンには2年間在籍しました。

その後、1999年からはUFマコネーに入団。少年時代は細くて小さい体だったため、9クラブの入団テストに落ちていました。↑12歳のグリーズマン少年。AJオセールのユニフォームを着ています。

↑UFマコネーでのプレーを続けていた14歳のグリーズマン少年。ちょうどこの年、2005年にパリSGユースと対戦する機会やってきます。その試合で活躍し、いくつものクラブから誘いを受けます。その中の1つがレアル・ソシエダでした。スペインのバスク地方を本拠地とするレアル・ソシエダ。見知らぬ土地に当然両親は始め戸惑いがあったそうですが、結局グリーズマン少年を送り出すことに決めました。

 

2005-09 レアル・ソシエダユース入団 ~そしてトップチームへ~

レアル・ソシエダの本拠地バスク州サン・セバスチャンに移り住みました。サン・セバスチャンはフランスとの国境近くにあり、グリーズマンはバイヨンヌの国境を越えてフランスの学校に通っていました。夕方はサン・セバスチャンに戻りトレーニングをして、夜はクラブのフランス人スカウトと共に生活していました。そんな生活をユース時代の4年間送っていました。

グリーズマンはフランスで生まれ育ちましたがユース時代をバスクで過ごしたため、実は同じバスク地方に本拠地を置く”純潔主義”でおなじみアスレティック・ビルバオでプレーする資格を有しています。

 

2009-10シーズン トップチームデビュー リーグ2部(レアル・ソシエダ1年目/当時18歳)

2009-10のプレシーズン、当時のマルティン・ラサルテ監督に呼ばれトップチームに帯同します。当時レアル・ソシエダは2部に所属していました。プレシーズンマッチ4試合に出場し5ゴールを決めました。当時のレギュラーが負傷離脱していたこともあり、ラサルテ監督は18歳のグリーズマンを大抜擢します。

そして2009年9月2日、コパ・デル・レイ(国王杯)のラージョ・バジェカーノ戦で77分から途中出場しトップチームデビューを飾ります。↑これがその試合の写真です。その4日後の9月6日にレアル・ムルシア戦にはリーグデビューを果たします。09-10シーズンは40試合に出場6ゴールの大活躍! 2部とは言え、プロ1年目当時18歳のグリーズマンにとっては素晴らしいシーズンとなりました。

2010年4月8日、2015年までの5年契約を結びました。契約解除違約金はなんと3,000万ユーロ(約42億円)! この頃には既にオリンピック・リヨンASサンテティエンヌAJオセールから高い関心が寄せられていました。

チームはセグンダ・ディビシオン(2部)優勝を飾り、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオン(1部)に復帰しました。

ちなみにシーズン終了後にフランスで開催されたUEFA U-19欧州選手権にU-19フランス代表の一員として出場。グループステージのオーストリア戦で1ゴールを決めるなど、チームの優勝に貢献しました。この時のメンバーにはアレクサンドル・ラカゼットらがいました。

 

2010-11 祝・1部昇格! ~スペイン1部に挑戦~(レアル・ソシエダ2年目/当時19歳)

レアル・ソシエダでのトップチーム2年目を迎えたグリーズマン。前09-10シーズンにまさに彗星のごとく現れ、いきなりの大活躍。2部で培った力は果たして1部での通用するのか?

 

2010-11シーズン終了後 初挑戦の1部でも大活躍! しかしチームは低迷・・・

2010年8月29日、シーズン最初の試合でスペイン1部デビューを果たしました。試合後のインタビューでグリーズマンは、「子供の頃からの夢を叶った」と話しています。

1部初挑戦のシーズンは34試合に出場し、7ゴール1アシストを記録。シーズンを通してスタメンの座を譲ることなく、WSD編集部も個別に取り上げる素晴らしい出来。しかしチームの成績は降格圏と勝ち点2差の15位に終わり、マルティン・ラサルテ監督は2011年5月24日に解任されました。

 

2011-12シーズン開幕前 (レアル・ソシエダ3年目/当時20歳)

11-12プレシーズンには、後に移籍することになるA・マドリードへの移籍希望を表明してサポーターからの批判を受けたグリーズマン。結局ソシエダに残留。プレーに影響は?

一方チームは新指揮官として新たに同じフランス国籍フィリップ・モンタニエル監督を招聘しました。

 

2011-12シーズン終了後  大活躍!

シーズン前には移籍騒動を醸したグリーズマンですが、いざシーズンが始まれば35試合に出場し7得点の大活躍! そこはやはりプロ。チームも前シーズンよりも順位を3つ上げてリーグを12位で終えました。

 

2012-13シーズン開幕前 (レアル・ソシエダ4年目/当時21歳)

レアル・ソシエダでのシーズンも4年目を迎え、確実にチームの中心になりつつあるグリーズマン。クラブでも年代別の代表でも順調にキャリアを積み重ねていました。

しかしこのシーズン中の2012年11月、U-21代表の招集中にヤン・エムヴィラウィサム・ベン・イェデルクリス・マヴィンガエムベイェ・ニアンらと共にナイトクラブで夜遊びをして、2013年12月31日まで世代別代表を含む代表戦への出場停止処分を受けてしまいました。この長い出場停止処分を受けた際、グリーズマンは母の祖国ポルトガルの代表を選ぶかとさえ考えていたそう。

 

2012-13シーズン終了後

魅力的な攻撃陣でシーズンなんと70得点! 49失点は許しましたが、チームは4位でシーズンを終え、03-04シーズン以来のCL(チャンピオンズリーグ)出場権を獲得しました。

03-04シーズンと言えば、オールドファンには懐かしいあの頃。そう、セルビア代表ダルコ・コバチェビッチトルコ代表ニハト・カフヴェジロシア代表ヴァレリー・カルピンオランダ代表サンデル・ヴェステルフェルトら多国籍の選手を擁し、古参のフランシスコ・デ・ペドロに地元出身の若かりしシャビ・アロンソなどが活躍していたあの頃です。

グリーズマンも好調なチームにあって大活躍! 34試合に出場し、大台の10ゴールを記録しました。

 

2013-14シーズン開幕前 (レアル・ソシエダ5年目/当時22歳)

レアル・ソシエダ5年目はレアル・ソシエダでの最後のシーズンでした。このシーズンはCL(チャンピオンズリーグ)に参戦するため、決して厚いとは言えない選手層でどこまで戦えるか?

 

2013-14シーズン終了後  またも大活躍!

チームは結果リーグ7位、CLグループステージ敗退(0勝1分5敗の最下位)、コパ・デル・レイ準決勝敗退に終わりました。

グリーズマンはCL(チャンピオンズリーグ)では6試合で無得点に終わったものの、リーグ戦では34試合に出場し、16ゴールのまたも大活躍! しかもPKによる得点なし。フィニッシャーとしての決定力を見せつけました。

クラブでの活躍によりこのシーズン中、遂にフランスA代表デビューを果たします。前述の出場停止解除後の2014年3月5日、オランダとの親善試合でA代表初出場を果たし、同年6月1日のパラグアイとの親善試合で代表初得点を記録しました。2014 FIFAワールドカップ本大会では、得点こそなかったものの大会直前に離脱したフランク・リベリーの穴を埋める活躍を見せました。

 

2014-15シーズン前 A・マドリードへ移籍! (A・マドリード1年目/当時23歳)

A・マドリードがレアル・ソシエダへ前述の3,000万ユーロ(約42億円)を支払い、念願だったA・マドリードへの移籍を果たしました。ビッグクラブでの1年目はいかに?

 

2014-15シーズン終了後  例のごとく大活躍!

シーズン序盤はやや苦労しましたが、徐々に調子を上げ37試合(先発29試合、途中8試合)に出場し、チーム最多22ゴールを記録。チームとしてタイトルは獲れませんでしたが、グリーズマン個人は加入1年目でしっかり結果を残しました。

 

2015-16シーズン開幕前 (A・マドリード2年目/当時24歳)

1年目の大活躍で契約を2020年までに延長。契約解除違約金を8,000万ユーロ(約112億円)にまで設定され、A・マドリードでのタイトル獲得を目指します。

 

2015-16シーズン終了後

リーグは優勝したFCバルセロナと勝ち点3差の3位、CL(チャンピオンズリーグ)ではレアル・マドリードとの決勝でPK戦の末敗れ準優勝と、どちらもあと一歩のところで優勝を逃しました。

グリーズマン個人はリーグ戦38試合すべてに出場22ゴールを記録CL(チャンピオンズリーグ)でも12試合すべてに出場7ゴールを記録しました。

一方代表ではシーズン終了後、地元開催となったUEFA EURO 2016本大会のメンバーに選出され出場。そこで史上2位となる大会通算6得点を記録しました。決勝のポルトガル戦では得点を奪えずフランスも準優勝に終わりましたが、ゴールデンブーツ(得点王)に加えて、最優秀選手賞を審査員の全会一致で受賞しました。

しかしクラブ、代表ともにあと一歩のところで優勝を逃し、悔しいシーズンだったのではないでしょうか。

 

2016-17シーズン開幕前 (A・マドリード3年目/当時25歳)

2016年6月21日、アトレティコと2021年6月30日まで契約を延長することを発表した。

 

 

36試合に出場し、16ゴール8アシストを記録。ラ・リーガ通算100ゴールを決め、ラ・リーガを代表するストライカーとしての地位を確立しました。

 

一方プライベートでは2011年から、バスク地方出身のスペイン人Erika Choperenaと関係を築いていました。2人は晴れて2017年6月15日に結婚しました。彼らは去る2016年4月8日に第一子Mia(女の子)を授かりました。さらにちょうど3年後の2019年4月8日、第二子Amaroが生まれました。グリーズマンの母方の祖父Amaro Lopesにちなんで名付けられました。

 

2017-18シーズン開幕前 (A・マドリード4年目/当時26歳)

このシーズンあたりからグリーズマンの周囲は騒がしくなります。2017年12月、A・マドリードはグリーズマンに対する違法なアプローチの疑いでFCバルセロナをFIFAに訴えました。その後、2018年6月までだったA・マドリードとの契約を2023年6月までに延長。さらにグリーズマンはTwitterでA・マドリードのサポータに向けて、”My fans, my team, MY HOME!!!”というメッセージを送りました。それもスペイン語、フランス語、英語の3ヵ国語で。A・マドリードの本拠地ワンダ・メトロポリターノの前に佇むグリーズマンの映像を添えて・・・。

 

2017-18シーズン終了後

ピッチ外で色々あったからなのかシーズン序盤は調子が上がらなかったものの、後半戦にはきっちり帳尻を合わせる活躍を見せました。

EL(ヨーロッパリーグ)決勝では母国のオリンピック・マルセイユ相手に2ゴールを決め、アトレティコの優勝に大きく貢献。さらに、後半終了間際にはシーズン終了後アトレティコを離れることが決まっていたフェルナンド・トーレスとの交代をベンチに要求し、トーレスは優勝の瞬間ピッチに立つことができました。なんと粋な計らい!

さらにシーズン終了後には2018 FIFAワールドカップのフランス代表に選ばれました。初戦のオーストラリア戦、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でペナルティーキックで得点を記録。準々決勝ウルグアイ戦では自身のシュートが相手キーパーフェルナンド・ムスレラのミスを誘いゴールを奪います。決勝クロアチア戦では、18分に自ら蹴ったフリーキックから相手チームのマリオ・マンジュキッチのオウンゴールを誘発し先制点をもたらすと、38分にはペナルティーキックでゴールを挙げ4-2の勝利に貢献。大会通算4得点でブロンズボール賞、シルバーブーツ賞を受賞。フランスのW杯優勝に大きく貢献しました。

 

2018-19シーズン開幕前 (A・マドリード5年目/当時27歳)

契約を2023年まで延長して臨んだシーズン。ラ・リーガもしくはCL(チャンピオンズリーグ)のいずれかで結果を残したいシーズンでしたが・・。

 

2018-19シーズン終了後

ラ・リーガは2年連続2位、CLは準々決勝敗退とまたも優勝を逃しました。

グリーズマンもクラブでのビッグタイトルを望んでいたのでしょう。2019年5月14日、2018-19シーズン限りでのA・マドリード退団を発表しました。「多くの愛情をくれたファンに伝えたかった。僕はここから離れ、自分の実力を試すために新しいチャレンジをすることを決めた。このクラブで最初のトロフィーを獲得することができ、とてもかけがえのない5年間だった。君たちに対しては感謝しかない。」と、クラブ公式SNSで感謝の意を述べました。しかし、最終節ではサポーターから「出てけ」という痛烈なチャントを浴びせられました。

グリーズマンは移籍する時にいつも揉めてます(笑)。

 

2019-20シーズン開幕前 (FCバルセロナ1年目/当時28歳)

A・マドリードからFCバルセロナに移籍する際、クラブ間でも移籍金の支払いで揉めます(笑)。結局なんとか移籍しシーズンを迎えました。

 

2019-20シーズン終了後

FCバルセロナ1年目は不完全燃焼に終わります。35試合に出場するも、9ゴール4アシスト。チームにフィットしたとは言い難く、シーズン終了後には早くも売却の噂も出ていました。しかし新監督ロナルド・クーマンに代わり、スアレスが戦力外となり結果グリーズマンは残留しました。

 

2020-21シーズン開幕前 (FCバルセロナ2年目/29歳)

勝負のFCバルセロナ2年目。しかしチームは序盤に大苦戦。10試合でわずか勝ち点14過去32年間で最悪のスタートを切ってしまいます。チームは徐々に調子を上げていますが、グリーマンの調子は上がらず。直近2021/01/09のグラナダCF戦で2ゴールを決め、4-0の勝利に貢献しましたが17試合出場でわずか5ゴール

今後のグリーズマンのキャリアにも大きな影響を与えるであろうFCバルセロナでの2年目。チームと共にグリーズマンの調子がどこまで上向いて行くか、期待して注目していきましょう!

 

 

あ と が き

ドイツ系の父に、ポルトガル系の母、フランスで生まれ育ち、スペインで大きく成長してプロのサッカー選手へ。往来が激しいEU内においても、この境遇とこのキャリアはあまり多くないと思います。ブログを書いていて初めて知ることも多く、とても興味深く楽しかったです。

それにしてもグリーズマンは移籍する時、なぜ毎回揉めるのでしょうか?性格によるところなのか、それとも何かほかに理由があるのか。あまりグリーズマンの性格までは詳しくなく、調べる事でもないと思ったのでその辺りは個人的に謎のままです(笑)。誰かコメントで教えてもらえたら嬉しいです。

さてこのブログも4回目。ブログを書くのにもだいぶ慣れてきました。細かい改善点は沢山あるんですが、徐々に効率的になって、書き始めたころと比べて約半分の時間で書き終えることが出来るようになりました。少しずつ自分なりの”ブログの型”みたいのものも見えてきた気がします。

さて次回はもう一度プレミアリーグに戻ろうかと思っています。取り上げる選手が決まったら、またTwitterで報告しようと思います。次回のUP予定は、1/18(月)です。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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syun 

 サッカー、コーヒー、そして人と自然を愛する1984年生まれの36才。地方出身で東京在住の会社員。筋トレも好き。